動く大地

動く大地完成原稿(中谷校正済み180903)

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マフィアは吹き荒れるグローバライゼーションとシチリアの大地を糧に生きる人々との間に誕生した中間搾取のネットワークである。


10シチリア・ベリーチェ
――一九六八/二〇一三

ベリーチェ谷へ

マルタ共和国の港から二時間程度の船旅だった。
もはや国境が意味をなしていないかのようなスムースさだった。

二〇一三年六月中旬、イタリア南部のシチリア島、その南端のポッツアーロ(Pozzallo)の港で下船した。
あたりはすでに暗かった。
港は乗客を迎える自家用車で埋まり、そのヘッドライトだけが暗闇にいくつも浮かび上がっていた。
お目当の車を探せるだろうか。
不安になっていると、ハイビームを操作してこちらに合図をしている車があった。
ドアを開けて人影が近づいてきた。
旅の案内役を務めてくれることになったシチリア人のセレナ、建築家の卵である。
在ヨーロッパの日本人建築家経由で彼女を紹介されたのだった。

シチリアもまた地震国だ。
都市がまるごと移転した南部のノト(Noto)、ヨーロッパ最大級の火山エトナの噴火によって溶岩流の被害を受けた東部のカターニア(Catania)など歴史的事例に事欠かない。
二泊目のカターニアの朝を散歩しているとき、溶岩流の塊を土台とした建造物にも出会った。
また中心部の様式建築は白いしっくいが塗られているにもかかわらず、何故かその印象が黒かった。
それは車の排気ガスによるものだけではなかった。
建築の側面に回り込んで気づいたのだが、その壁はもともと黒い玄武岩を積んで立ち上がっているからだった(一六六頁写真)。
「土地の人はこの街を「黒い女」と呼んでいる。
それはあの黒い壁のせいだし、わたしたちの奥底に混じっているアラブの血のことを言っているのかもしれない」とセレナは説明した。

一週間程度のシチリアの滞在日程で、必ず訪れたい場所があった。
シチリア西部内陸にあるベリーチェ(Belice)谷一帯、ほとんどの観光ガイドには地名すら記されていない場所である。
わたしたちは、ハイウェイをレンタカーを飛ばしながら、西に向かった。
エトナ山を横目に過ぎた頃から、風景が変わった。
白褐色の丘の連なる様子は、大地―ユーラシアプレートへ沈み込むアフリカプレートからの付加体が風化した結果だ。
乾いたシロッコ(熱風)、影を許さない真上からの陽差し。
オリーブ、ブドウ畑が大地をトレースしている。
昔見た白黒映画のシチリアの風景にかすかに着彩したぐらいで、実際の風景もほとんど変わりはなかった。
ギリシア遺跡の残る南海岸のアグリジェントを経由し、イスラーム文化の残香が漂う港町のシャッカで一泊し、そこから一気にベリーチェの奥へ進んだ。

図58カターニアの街角で見かけた溶岩流の塊を組み合わせた建物土台

上:ポッジョレアーレの旧集落を訪ねてきた親子たち.左手に劇場兼映画館の廃墟が見える.シチリア州,イタリア共和国
左上:ポッジョレアーレ.新しい移転集落の上方に放置された旧集落.同
左中:新ジベリーナ市庁舎前の広場.キリコの「憂鬱」の実現.同
左下:聖堂跡の改修で,挿入された新しい素材.サレミ地区,同

「観光地でもないこんな場所に何を見にきたの?」
「行き先はジベリーナ(Gibellina)とサレミ(Salemi)、一九六八年に発生したベリーチェ大地震後の村々の様子を見にきたんだ」

「一つ忘れている。
ポッジョレアーレ(Poggioreale)。
なんとか今日の予定に組み込みましょう」

実は建築家志望の彼女も個人的に興味があって何回か訪れているコースだったというのだ。

「あなたはラッキーだった!」

⭐⭐⭐⭐⭐⭐
全球化和西西里岛

不仅是西西里岛,在旅行途中,所谓的全球化带来的影响随处可见。
各地都有印有当地海岸名称的一模一样的人字拖,都是中国产的。
外国人所进行的投机目的的地产买卖,观光化,大资本商品的流入。虽然这些现象开始加速的是最近的事情,但是源流至少可以追溯到大航海时代。
◆删除一行
那是欧洲各国抓住南北的价值差异,通过贸易在南方收获了各种物产的时代。
到了20世纪第二次世界大战之后,西方各国出现了各种国籍的企业,加上东西冷战结束后,失去了基于政治理念的市场调节机构。
于是资本运动成为了覆盖当今世界的主要行动基准。

图59 西西里岛西部的访问地

可以想象这种全球化的趋势的终点将是地球全体范围的价值的均值化。
于是原本通过各地的价值差异而产生的获得利益的机会将会减少。
事实上,这种情况不会发生。
生产价值的差异将会由人为的创作出来。
也就是说,全球化的本质并不是均值化,而是巧妙地利用差异产生价值从而提高利润的这一隐藏在背后的系统。
与全球化相处的方式正是这样的系统,相处的方式也就是与之对峙的方式。

在这个意义上来说,西西里岛简直是个典型的舞台。
公元前,除原住民以外,希腊人已经开始对沿海部分进行殖民化。
海洋民族的腓尼基人也参与了这场霸权争夺战,但是最终被罗马帝国统一。★フェニキア/腓尼基
罗马帝国分裂后一直处在拜占庭帝国(东罗马)的支配之下,10世纪之后的大约100年则处于阿拉伯人的完全支配之下。★東ローマ/拜占庭帝国
再之后,北方的諾曼人开始对此地展开制压,接着德国,法国,西班牙,北意大利,奥地利,接着又是西班牙,此地不停的被各国轮流支配着。★ノルマン人/諾曼人
一直要到19世纪意大利王国的加里波底将军的远征之后,西西里岛才与意大利建立起紧密关系。★ガリバルディ将軍/加里波底将军(Giuseppe Garibaldi)
第二次世界大战之后,西西里岛虽成为意大利共和国的一部分,也发生了独立运动。◆到底是二战期间中发生的独立运动,还是二战之后发生的独立运动
结果,现在西西里岛被认可为作为一个独立的自治州。
光是浏览一下这些历史概要就能想象得出,在这背后西西里岛的人们(由于战乱)流淌了多少血。

波焦雷亚莱的两个广场

1968年1月14日周日深夜,中规模的地震席卷了贝利切峡谷一带。
人们担心房屋会坍塌,纷纷来到道路上度过了一夜。
第二天,发生了规模最大的6.5级的余震。★マグニチュート/◆咋翻译magnitude
大地中传来黑暗的呻吟似的声音,像云朵似的灰尘飞舞上升,被摧毁的村庄周围散发着刺鼻的臭味。
之后,死亡的沉寂笼罩着这片大地。
贝利切峡谷的14个村落中大约有400人死亡,十万人在一瞬间失去了家园。

被称作【黑色女人】的城市卡塔尼亚,西西里岛,意大利共和国

半世纪后的2013年6月15日。
我们的车首先朝着波焦雷亚莱开去。
这是一个完全的迁移地区。
一到那儿,就能看到在新的村落的上方,被遗弃的旧村落还以原来的样貌留在山丘的半腰处(136页上图)。

隔离旧村落的大门打开了。
主要大道沿着山丘的等高线贯穿了整个废墟。
那是可以让两台汽车或者马上相向而行擦身而过的宽度。
放眼望去,废墟在中央大道的两侧顺着山丘的倾斜缓缓地展开。
主要大道和与之相交的小路的尽头没有任何遮挡,直接与西西里岛的山丘连为一体。◆求文学大师改中文
曾经的搬运工们是否也走的这条路呢。

发现对面有一个老人正走过来。
跟他打了个招呼,询问为何他会身在此处。
他说,他带孙子们来到这里给孙子们看看以前住的地方。
接着,大约小学生左右年纪的姐妹和老人的妻子出现在我和セレナ的身后。
就这样,我们便和他们一同漫步这个废墟了。

他们向我们介绍了这个废墟的各种各样的遗物。
方才的大道上曾林立着各种卖意大利面,小麦粉,洗涤剂的杂货店。
◆傍晚
还有地主阶级的”王子们”在村庄度假用的别墅,镇里的剧场兼电影院,还有大道尽头的广场,村里的人们都是在那儿举办婚礼的。
曾经人们聚集在广场时的喧嚣声仿佛还在现在的废墟中回响着。
这里有足够多的要素以供怀念过往的时光。

图60 波焦雷亚莱旧村落的广场(西西里岛的山丘绵延)

关于村落迁移这一事,有几个无法理解的事情。
首先,这个废墟还足够能够修复重建。
据他们说,相比吉贝利纳牺牲了200人,这个村落的牺牲者只有2人。
替代的新村落的选址是在旧村落下方谷底一侧,绝对不是一个条件良好的土地。
想必迁移一定还有别的原因介入。
セレナ好像也抱有同样的疑问,她已经非常热心的向他们打听着了。
据说,老人直截了当的说,都怪那些家伙。◆はき捨てる的语境中文要怎么说。。

”那些家伙是指谁”

”黑帮”

来到西西里岛,第一次听到黑帮这个词。